クチコミで話題のスタジオを候補にしつつ私の祖母は、アルバムを眺めるのが何よりの楽しみという人だった。幼い頃、祖母の家へ遊びに行くと、決まって分厚いアルバムが何冊も持ち出され、「これはね、あなたのお母さんが七五三の時でね」「こっちは、おじいちゃんと初めて旅行に行った時の写真だよ」と、一枚一枚の写真に込められた物語を、飽きることなく語ってくれた。そんな祖母にとって、写真とは、単なる記録ではなく、家族の愛と歴史を未来へと繋ぐ、大切なタイムカプセルのようなものなのだ。だから、私が結婚を決めた時、真っ先に頭に浮かんだのは、祖父母の喜ぶ顔だった。そして同時に、一つの強い想いが芽生えた。それは、私たちのフォトウェディングを、ただの記念撮影ではなく、これまで数えきれないほどの愛情を注いでくれた祖父母への、最高の「恩返し」の機会にしたい、という想いだった。 しかし、祖父母は共に高齢で、特に祖父は長い間、施設での生活を送っている。スタジオまで来てもらうのは、体力的に難しい。そこで、私たちはプランナーさんと相談し、前代未聞とも言える計画を立てた。それは、スタジオでの撮影を終えた後、ウェディングドレスとタキシード姿のまま、祖父のいる施設をサプライズで訪問するというものだった。施設のスタッフの方々に事情を話し、協力を仰ぐと、「ぜひ、お手伝いさせてください!おじい様、きっと喜ばれますよ」と、温かく受け入れてくれた。 撮影当日。スタジオには、祖母と両親が駆けつけてくれた。私のウェディングドレス姿を見るなり、祖母は「綺麗だねぇ」と涙ぐみ、持参した自分のカメラで、何枚も何枚も、私の写真を撮っていた。その姿は、まるで私が幼かった頃、運動会や発表会のたびに、誰よりも熱心に応援してくれた、あの頃の祖母の姿と少しも変わらなかった。スタジオでの撮影は、和やかな雰囲気の中で順調に進んだ。そして、いよいよ計画の第二幕、祖父へのサプライズ訪問の時間だ。私たちは、家族には「もう一箇所、ロケーション撮影があるから」とだけ告げ、祖父の待つ施設へと向かった。 施設に到着し、祖父がいつも過ごしているという、日当たりの良い談話室の扉を、私たちはそっと開けた。車椅子に座り、窓の外をぼんやりと眺めていた祖父は、私たちの姿を認めると、一瞬、何が起こったのか分からないというように、目をぱちくりとさせた。そして、ゆっくりと、ゆっくりと、その表情が、驚きから、信じられないという戸惑いへ、そして、この上ない喜びに変わっていく。しわくちゃの顔を、まるで子供のようにくしゃくしゃにして、祖父は「おお…、おお…」と、言葉にならない声を上げた。私たちは祖父のそばに駆け寄り、その車椅子の前にひざまずいた。「おじいちゃん、結婚したよ。どうしても、この姿を一番に見てほしくて」。そう言うと、祖父は震える手で、私のヴェールにそっと触れ、そして、何も言わずに、ただ、ぼろぼろと涙をこぼした。その涙は、これまで彼が私たち家族のために捧げてくれた、無償の愛の結晶そのもののように、温かく、そして、尊いものだった。 私たちは、その談話室で、ささやかな記念撮影会を行った。祖父の車椅子を、夫と二人で押すショット。祖父の手を、そっと握りしめるショット。そして、後から駆けつけた祖母も加わり、老夫婦が、まるで自分たちの孫夫婦を祝福するかのように、私たちの後ろで優しく微笑んでいるショット。そのどれもが、豪華なセットや美しいロケーションで撮られた写真にはない、本物の、偽りのない愛情に満ち溢れていた。施設の他の入居者の方々や、スタッフの皆さんも集まってきて、まるで自分の家族のことのように、温かい拍手と祝福の言葉を贈ってくれた。その空間は、幸せという名のオーラで、キラキラと輝いているようだった。 私たちのフォトウェディングは、きっと少し変わっている。でも、これ以上に心に残る、意義のある選択はなかったと、今、確信している。祖母が大切にしてきたアルバムに、この日、新しい、そして、最高のページが加わった。そこには、家族の愛の連鎖が、確かに刻まれている。写真とは、誰かの「想い」に応えるために撮るものでもあるのだと、祖父母がその涙と笑顔で教えてくれた。この日の記憶は、私たち夫婦にとって、これから先の人生を歩む上での、何よりの道標となるだろう。
脳出血による左手麻痺が残る生活
35歳の時に脳出血を発症し、体の左側に麻痺が出ました。左手は握力ゼロ状態で、左足も若干力が入りにくい感覚、そして左の頬や舌、左喉などにも軽い麻痺の症状が出ました。リハビリの結果、かなり麻痺状態が改善し、普通に生活するには全く支障のない程度までになりました。ただそれでも、麻痺が出る前の完全な状態には戻ることはできませんでした。そのため在宅で仕事をする必要があり、デジタルマーケティングコンサルティングに就職し、左足は踏ん張りがどうしても右よりも弱いですし、左頬も食事中につい噛んでしまうことがあります。それでも、一番麻痺症状が出た左手は、全く指が動かせなかった状態から、パソコンのキーボードを打てるぐらいまでになったので、かなりの回復だと言えます。ただ左手の握力は完全には戻りませんでした。以前の半分ぐらいの握力になってしまいました。そのため、軽いお菓子の袋を左手に持って、ふと気を別のところに持っていくと、つい力が抜けてしまい、ストンと下に落としてしまうことがよくあります。お皿もかなり集中しないと持ち続けていられないので、割れる可能性のあるものは、左手では持たないようにしています。ですが、あまりに左手を使わないのも麻痺がまた戻ってしまうので、なるべくできることは積極的に左で作業するようにしています。3年ほど前、築17年の3階建ての1件家を外壁塗装しました。見た目にも所々にヒビがあり、何度も塗装会社の方々の訪問を受けました。100万近くのお金が飛ぶことになるので、業者選びは入念にしたつもりです。ネットの口コミを参考に近くの塗装会社を調べ、3件の見積もりを出してもらいました。実際に家をチェックしてもらう中、どの業者さんも対応は丁寧で問題はありませんでした。3社とも見積もり金額に大差がなかったので、重視したことは、家から近い業者さんにすることでした。何か問題があった時に双方の行き来が便利です。ですので、クルマで10分のホームセンターのリフォーム部門を選びました。結論から言いますと、ここの業者さんにお願いをしてとても良かったと満足しています。元々我が家の壁の色は茶色で少し暗い雰囲気でしたが、明るいグレーとクリーム色の素敵な塗装で仕上げて頂きました。私の要望に応えて頂き、大変うれしく思っています。また、お隣さんと同時に塗装を進行出来たので、金額を少し安くすることが出来ました。もう一つ良かったことは、お隣さんとすっかり同じ色にならないように業者さんが色のアドバイスをしてくれたことです。同じにすれば安くはなりますが、違うほうが見た目にも良いですよ~とさりげなくお隣さんに伝えて頂いたことに感謝しています。お隣さんは、特に壁の色にこだわりはないそうで、安聞く聞くと同じにしてしまいそうだったので、そこをうまく伝えて頂き感謝しています。お隣さんの壁は落ち着いていてこちらが少しうらやましくなる程のスタイリッシュな色になりました。余計なことかもしれませんが、もしお隣さんが奇抜な色を選択していたら、やだなと思ってしまうのです。